御  礼
 8月23日(日)午後1時から国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行いました「第18回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」にはコロナの中、多数のご参加をいただき、ありがとうございました。主催者代表挨拶、厚生労働大臣の追悼の言葉、遺族代表の追悼の言葉をご紹介します。



 ■戦後75年・第18回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い主催者代表挨拶

 コロナと猛暑の中、今年もこのように多数ご参列いただき、ありがとうございます。

 皆様とともに、ここ千鳥ヶ淵戦没者墓苑に眠る約1万7千柱のシベリア・モンゴルからのご遺骨を前に、旧ソ連・モンゴルの地で抑留中に亡くなられたすべての犠牲者を追悼し、ご冥福を心よりお祈りいたします。

  とうとう「戦後75年」になりました。無事に帰国でき、幸いなことに現在まで生きてこられた私どもの平均年齢も今年97歳になります。この1年間でも仲間が次々旅立ちました。いつお迎えが来ても不思議ではない身ですので、皆様には率直に申し上げておきたいと思います。

 平成22年に「シベリア特措法」が制定されて10年がたちましたが、実態解明が進んでおりません。遺骨収集も先が見えない状態です。昨年明らかになった遺骨の取り違いはショックでした。毎年こちらで慰霊を行ない、献花をしてきましたが、よその国のご遺骨に頭を下げていたことになります。間違って連行され、抑留されているロシアの遺骨がまだ六角堂の下におられるわけで、その魂やロシアのご遺族には、本当に申し訳ないことです。その対応には日本国の誠実さが問われます。 

 さらにコロナで遺骨収集も墓参もできない状態が続いています。75年を経て、大きな発想や方法の転換が求められていると感じます。残念ながらすべての遺骨を収集、帰還させることは不可能です。DNA鑑定を経て、ご遺族の元に遺骨が帰る幸いなケースもありますが、収集した遺骨の大半は身元不明です。亡くなった場所さえ分からない方が大勢おられます。

 私はレニンスク・クズネツキーという所に送られましたが、途中で列車が止まるたびに、2人、3人と亡くなった人を線路の脇に埋めてきました。そうした人々の遺骨の収集はおそらく不可能でしょう。いろいろなケースをふまえて、総合的に、全体的にどうするのか?という大きな戦略が必要です。事業の内容を公開して、できることとできないことを区別し、民間やロシア側の知見や人材を活用して、国民が納得できる事業に改善していただきたい。税金を投じての事業ですから、一部の専門家だけの議論でなく、国民のコンセンサスを得られるよう政府・立法府全体で取り組んでいただきたいのです。2010年シベリア特措法の改正も1991年日ソ捕虜収容所協定の改正・補強も、執行体制の大幅強化も必要です。

 抑留死亡者は「戦没者」ではありません。「拉致被害者」です。勝手に「英霊」にされては迷惑でしょう。帰国後の「シベリア帰り」に対する就職差別や疎外も深刻でした。美化しないで歴史を正確に伝えていただきたいのです。死者にとってもご遺族にとっても「戦後」はまだ続いています。

 昨年と同じことを問いかけなければならないのは、本当に残念です。北朝鮮に逆送された2万7千人はどうなったのでしょう? 連行された女性や十代半ばの少年兵らは、どうなったのでしょう? 朝鮮半島や台湾出身の外国籍の方々の調査はどうなったのでしょう? ソ連の軍事法廷で裁かれ、刑に処せられた方々の調査は行われ、「名誉回復」は進んでいるのでしょうか? 課題は残されたままです。抜本的に事業の進め方を再検討し、ロシアとも協議を重ねて、間違いのない、もっと効率の良い事業の実施戦略を国を挙げて策定し、実行すべきです。 

 この追悼式典も民間でなく、国が主催していただきたいと重ねて要望いたします。

 ご参列のご遺族、元抑留者、国会議員、政府、各国公館、関係団体代表の皆様に一層のご協力をお願い申し上げて、またご遺族の皆様のご健勝とご多幸をお祈りして、主催者のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

      令和2(2020)年8月23日          主催者を代表して  新関 省二(94歳)

 ■第18回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い 厚生労働大臣挨拶 

 第18回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いの開催に当たり、一言、御挨拶を申し上げます。

 この集いに当たり、戦後、酷寒の地において、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、劣悪な環境下で亡くなられた強制抑留者の方々に思いを致し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 厚生労働省は、これまで、戦後強制抑留者特別措置法に基づき、平成23年8月に閣議決定された「強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針」を踏まえ、関係省庁と連携し、民間団体等の協力も得つつ、抑留中に亡くなられた方々の特定や、御遺骨の帰還に取り組むとともに、慰霊巡拝を実施してまいりました。

 シベリアやモンゴルにおいては、平成3年以来、2万251柱の御遺骨の収容を行ってまいりました。現時点では、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、海外での遺骨収集の実施を見合わせざるを得ない状況にありますが、未だ帰還を果たされていない多くの御遺骨が、一日も早くふるさとに戻られるよう、引き続き全力を尽くしてまいります。

 そして、収容された遺骨の一部が日本人の遺骨でない可能性が指摘されながら、長期間にわたり適切な対応が行われなかったこと、また、それによって遺骨収集事業への信頼性を大きく毀損したことについて、事業を担っている厚生労働省として、真摯に反省しなければならないと考えています。有識者会議からの意見を踏まえ、本年5月にお示しした遺骨収集事業及びその実施体制についての見直しの方針に沿って、事業の抜本的な改善を図るとともに、御遺族の思いをしっかりと受け止めながら、責任を持って遺骨収集事業に取り組んでまいります。

 戦後75年を迎える今日、戦中・戦後の労苦を体験された方々が少なくなる中、先の大戦の教訓を風化させることなく継承していくことの重要性が高まっています。若い世代へ先の大戦の記憶を語り継いでいくとともに、世界の恒久平和と繁栄に、全力を尽くして貢献していくことをお誓い申し上げます。

 終わりに、抑留中に亡くなられた方々の御霊の安らかならんことを、そして、関係者の皆様方の御平安を切に祈念して、挨拶といたします。

    令和2年8月23日         厚生労働大臣  加藤 勝信

  ■追 悼 の 言 葉 (遺族代表)

 私の父、山形求馬は、1945年関東軍参謀、それ以前は特務機関将校でした。敗戦直後の9月に北朝鮮の平壌で家族の前で、拉致・連行されました。

 残された母子4人、平壌の厳しい冬を何とか乗り越え、帰国を果たすことができました。

 シベリアからの帰還が始まると、母は幾度も舞鶴に行き、父の消息を求めましたが、杳として分かりませんでした。

 1956年12月にシベリアからの帰還が終了すると、厚生省からの勧めで、「死亡認定申請」を行い、「死亡公報」が届きました。「1946年7月1日ソ連ウォロシロフで戦病死」と記され、役所の戸籍にもそう書かれました。

 しかし、1948年頃に父に会ったとか、「死亡公報」とは異なる情報が入り、母の煩悶が続きました。

 1981年父の33回忌の法事を行った際に、前野茂さんの回想記『ソ連獄窓11年』に山形参謀銃殺の記述があることを教えていただきました。

 父の真実の情報を知りたく、長期抑留者の会「朔北会」をとおしてソ連当局に数年にわたり要望しました。

 1992年ゴルバチョフ大統領から16名分の「通報書」が「朔北会」に届き、個々の遺族が在日ロシア連邦大使館に招かれ、「名誉回復証明書」が手渡されました。そこには、父が「1946年6月30日沿海洲軍法会議で最高刑=銃殺の判決を受け、10月16日にウラジオストックで執行され、市営墓地の東方1.5キロ地点に埋葬された」と明記されていました。そして「1991年10月18日付で無実で復権された」と。

 その後、朔北会の会合で父らの最後の情報を母は聞いたそうです。「戦犯、戦犯!」との言葉を聞かされ、母は驚愕、落胆、生気を失っていきました。重苦しい体験が続きました。

 「父上はいかに在わすや」と眺めていた月が、いつしか石の塊にしか見えなくなりました。

 無為、焦燥のうちに歳月を重ねてきましたが、私も80歳を越え、なんとかしたいと動きました。すると、昨年6月東京都福祉保健局が「名誉回復証明書」に基づく「軍歴確認書」の訂正・交付に応じてくれたのです。

 次いで、東京家庭裁判所に「原戸籍の訂正」を申し立て、先週8月17日付で「訂正を許可する」との審判を得ました。9月上旬には区役所で、ようやく父の戸籍が正しいものに訂正されます。

 これまで父の命日は四つもあり、墓には二つの異なる命日を刻んでいました。本当の命日の10月16日には「75回忌法要」を行うことができます。長い、長い74年でした。

 しかし、なお二つやり残した課題があります。父の墓参と遺骨返還、裁判記録の取得です。ロシア大使館で「名誉回復証明書」をいただいた後、1996年に1人でウラジオストックに弔問に行きました。残念ながら、埋葬地は軍用地のため、立ち入り禁止でした。埋葬地に最も近い所にある慰霊碑に供養の志を捧げてきました。その慰霊碑はこう記されていました。 「1920-1950 スターリンの弾圧の時代に責め殺され、銃殺された人々のために 永遠に名を記憶す 地区住民」 胸が痛くなりました。

 夫に、子に「戦犯」の汚名を着せられ、白い眼で見られ、苦渋の戦後を耐え忍んできた遺族が、私たちだけでなく、多数おられます。近親者ばかりか、職場や学校、地域社会で他人に言えぬ苦しみに耐えて生きておられます。

 抑留犠牲者の裁判記録の入手、遺骨収集、記録の保存は遺族個人の力では到底なしえません。国家・政府の責務としてなされるべきです。人間の尊厳に関わる問題としてなされるべきです。

 国会議員、政府関係の皆様、大使館、報道機関の皆様、なかんずく政府指導者の方々、今こそ喫緊の課題としてご尽力いただきたく、深甚よりお願い申し上げます。

 抑留犠牲者の悲劇を忘却することなく、等閑に付すことなく、戦争・抑留の実態を明らかにし、記憶に留め、記録に残し、平和を希求して、私たちは歩んでまいります。

 異国シベリア、モンゴルの土となられた抑留犠牲者の霊位に謹んで追善供養の志を捧げ祀ります。

        2020年8月23日     遺族 山形 忠顯(上越教育大学院大学名誉教授、82歳)

                                        

    【ご報告とお礼】

 8月23日夜から25日にかけてZoomを使って開催しました46300人のシベリア抑留死亡者名簿のリレー朗読会にご参加・ご協力いただき、ありがとうございました。

 大変急な呼びかけにもかかわらず、多くの方がご参加くださり、途切れることなく47時間で名簿を読み上げることができました。朗読には加わらなかったものの、さらに多くの方々がZoomとYoutubeで朗読を聞いてくださいました。涙ながらに名前を読んでくださった遺族もあり、予定時間が遅れることもありましたが、父の名を聞くために深夜まで起きて待っていてくださった遺族もおられました。
 今回の朗読に参加くださった方は全部で47人。(一人で3回朗読してくださった方が2人、2回朗読が11人でした。) 内訳は遺族6人、体験者1人、二世・三世・四世(父・祖父らが抑留生還者)7人、研究者5人、ジャーナリスト・作家7人、支援者・市民8人、教師2人、学生13人(多摩・早稲田・法政・明治学院・神奈川大学)、地域は、岩手・山形・新潟・東京・千葉・神奈川・静岡・大阪・大分・英国でした。国籍は日本・韓国・台湾・ウズベキスタン、最高齢95歳でした。所要時間は47時間でした。

 メディアでも注目され、以下に関連記事が掲載されました。(8/25東京新聞朝刊にも)
https://mainichi.jp/articles/ 20200818/dde/007/040/028000c
https://digital.asahi.com/articles/ASN8R77CKN8NUTIL02J.html
https://mainichi.jp/articles/ 20200826/ddl/k13/040/021000c
https://www.nishinippon.co.jp/ item/n/638821/
https://www.chugoku-np.co.jp/ column/article/?category_id= 143&page=1
https://www.kyoto-np.co.jp/ articles/-/348368


 

       村山常雄作成・抑留死亡者名簿インターネット版(https://yokuryu.world.coocan.jp/)

 

【村山常雄さん】(1926.2.3.~2014.5.11.)

1926(大正15)年新潟県生まれ。1943(昭和18)年満州国立ハルビン水産試験場勤務。45年現地入隊、敗戦によりソ連軍の捕虜となり4年間の強制労働に従事。49年帰国。その後教員となり、新潟県内8中学に勤務。1985(昭和60)年退職。1996(平成8)年、70歳の誕生日を機に<シベリア抑留中死亡者データベース>作成に気自身のホームページに公開。2006(平成18)年度(第40回)吉川英治文化賞受賞。2007年『ソ連抑留中死亡者名簿』を自費出版。2008年第5回新潟出版文化賞特別賞受賞、2009年第12回日本自費出版文化賞大賞受賞。2014年88歳で逝去。
 没後、「村山常雄記念シベリア抑留研究奨励賞」が設けられ、2016年から隔年
で若手研究者に賞が贈られています。
 著書:『シベリアに逝きし人々を刻す―ソ連抑留中死亡者名簿』(自費出版、
2007年、*第5回新潟出版文化賞特別賞、第12回日本自費出版文化賞大
賞受賞)、『シベリアに逝きし46300名を刻む―ソ連抑留死亡者名簿をつくる』
(七つ森書館、2009年)。
 <参考>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50557
     https://mainichi.jp/articles/20160508/ddm/001/040/116000c
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S12013711.html

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第1回シベリア抑留記録・文化賞を渡辺祥子さんが受賞されました。 詳しくは、「シベリア抑留記録・文化賞」の頁に。

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2012年10月30日 00:07
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