抑留死亡者名簿研究・村山常雄さん(88歳)逝去

2014年05月11日 18:00

【訃報】 シベリア抑留死亡者名簿研究の第一人者

    村山(むらやま)(つね)()さん(88歳)が逝去されました

 70歳でパソコンを習ってシベリア抑留死亡者名簿の入力と漢字での氏名変換、調査を10年以上続けられ、2005年に46,300人分のデータベースを自身のホームページで公開、2007年に名簿を自費出版されて、第40回吉川英治文化賞、第12回日本自費出版文化賞大賞などを受賞された、民間のシベリア抑留死亡者名簿研究の第一人者、村山常雄さんが本日午前10時43分、細菌性肺炎のため、さいたま赤十字病院で逝去されました。1926(大正15)年2月3日生まれで88歳でした。

 昨年12月から間質性肺炎で入院され、今年2月から自宅で療養されていましたが、5月6日に容態が悪化し、7日に再入院されていました。

 葬儀は、ご本人のご意向により家族のみにて執り行い、6月16日(月)午後1時30分から東京・永田町の参議院議員会館で偲ぶ会が開かれる予定です。

  心よりご冥福をお祈りいたします。

                             2014年5月11日

                       シベリア抑留者支援・記録センター

 

 【村山常雄(むらやま・つねお)さん略歴】       

1926(大正15)年2月3日新潟県糸魚川生まれ。

1943(昭和18)年満州国立ハルビン水産試験場勤務。

1945(昭和20)年5月に19歳で繰り上げ招集、関東軍機動第3連隊(通称・満州第25224部隊)に現地入隊。

 敗戦によりソ連軍の捕虜となり4年間の強制労働に従事。ハバロフスク地方ムーリー、ウルガルの第1収容所、第4収容所で伐採、鉄道路盤構築、製材工場などで労働作業。

1946(昭和21)年、壌血症のため右足が腫れ、右ふくらはぎ切開。

1949(昭和24)年5月、肋骨カリエスで入院手術。

1949(昭和24)年8月2日担架に乗せられて舞鶴に帰国。舞鶴病院で再手術し、療養生活を送る。

 その後教員となり、新潟県内の8中学に勤務。

1985(昭和60)年退職。

1996(平成8)年、70歳の誕生日を期に《シベリア抑留中死亡者データベース》作成に着手。

2005(平成17)年、自身のホームページ(アドレス下記)に「シベリア抑留死亡者名簿」を公開。

2006(平成18)年4月、第40回吉川英治文化賞受賞。

2007(平成19)年7月、ソ連抑留中死亡者約46300人の名簿を収録した『シベリアに逝きし人々を刻す』を自費出版。

2008(平成20)年12月、第5回新潟出版文化賞特別賞受賞。

2009(平成21)年6月、第12日本自費出版文化賞大賞受賞。選考委員の色川大吉氏や鎌田慧氏が「歴史記録の金字塔」と賞賛。

2009(平成21)年8月 『シベリアに逝きし46300名を刻む―ソ連抑留死亡者名簿をつくる』(七つ森書館)出版。

2011(平成23)年4月~ シベリア抑留者支援・記録センター世話人

2012(平成24)年1月、新潟から埼玉県に転居

*  村山常雄編・著「シベリア抑留死亡者名簿」(https://yokuryu.huu.cc/)には現在46,571人(不明者も含む)を収録。アドレスをぜひご紹介下さい。

*  昨年(2013年)8月23日国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた第11回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」で主催者を代表して挨拶されたのが、公の場での最後の発言となりました。(参照⇒https://sdcpis.webnode.jp/)

 

    2013.8.23.千鳥ヶ淵墓苑で