2014年8月23日第12回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」開催
8月23日千鳥ヶ淵戦没者墓苑で第12回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」を開催しました
各紙・NHKニュースなどから
2014年08月23日19時12分 毎日新聞
シベリア抑留:犠牲6万人追悼の集い 東京・千鳥ケ淵
追悼の集いで、犠牲者に花をささげるシベリア抑留の遺族や関係者=東京都千代田区で、青島顕撮影
第二次大戦後に旧満州(現中国東北部)にいた日本兵約60万人が旧ソ連に連行され、最長11年使役された「シベリア抑留」で犠牲になった約6万人を追悼する集いが23日、東京・千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれ、約150人が参加した。
集いは、当事者や支援者でつくる実行委員会が、抑留開始の日とされる8月23日に、2003年から毎年開いている。主催者を代表して大阪府在住の抑留経験者、池田幸一さん(93)が「国としての追悼事業がないのが残念で、若い世代が抑留の真実を知らない。死者たちが軽んじられている。次世代への継承、啓発に国が力を入れるよう強く要望する」とあいさつした。
抑留経験者の平均年齢は90歳を超えている。犠牲者名簿の作成で知られ、昨年の集いで主催者代表のあいさつをした新潟県出身の村山常雄さんも今年5月に88歳で亡くなった。【青島顕】
2014年8月23日 17時48分 東京新聞
シベリア抑留者を追悼 旧ソ連極秘指令から69年
シベリア抑留の犠牲者を追悼する集いで献花する参加者=23日午後、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑
戦後、旧日本軍の捕虜らがシベリアやモンゴルに連行、強制労働に従事させられたシベリア抑留の犠牲者を追悼する集いが23日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれ、遺族ら約150人が献花した。墓苑には犠牲者約1万2千人の遺骨が納められている。
23日は、旧ソ連の指導者スターリンが1945年に日本兵移送の極秘指令を出してから69年に当たる。
集いでは、2年前に亡くなった父の書き残した抑留経験の記録や短歌を本として出版した京都府長岡京市の西岡秀子さん(68)が「大きな犠牲を伝え、平和を守る道を歩んでいきたい」と述べた。
(共同)
2014年08月23日 22時50分 京都新聞
シベリア抑留、風化させぬ 東京で犠牲者追悼
- シベリアやモンゴルの抑留犠牲者に黙とうをささげる抑留体験者ら(東京都千代田区・千鳥ケ淵戦没者墓苑)
終戦後もシベリアやモンゴルに抑留され、過酷な環境で命を落とした犠牲者を悼む集いが23日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた。京都府舞鶴市に最後の引き揚げ船が入港して57年たつが、遺骨の収集や犠牲者数の把握などは不十分なままで、抑留体験者の平均年齢が91歳になる中、会場では記憶の風化に対する懸念の声が聞かれた。
8月23日は、1945年にスターリンが旧日本軍捕虜のシベリア移送を命じた日。抑留体験者らが2003年から毎年集いを開き、今年は遺族や国会議員ら約150人が参加した。
追悼の辞は、抑留から帰還した父の手記を5月に出版した京都府長岡京市の西岡秀子さん(68)が「父の記録を縁につながったみなさんと、抑留の大きな犠牲をなかったことにせず伝えていきたい」と述べた。
主催者の一人で、ウズベキスタンに3年間抑留された舞鶴市出身の池田幸一さん(93)=大阪府豊中市=は、舞鶴市の抑留関連資料が6月にユネスコ世界記憶遺産の国内候補に決まったことを喜びつつ、「抑留体験者にはもう本当に時間がない」と強調。国に対し、遺骨の3分の2が未収集とされる現状の改善や、国による追悼事業の実施、若者への記憶の継承などを訴えた。
8月23日 20時57分NHK 動画:https://www.dailymotion.com/video/x24gq8q_%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85%E3%81%AE%E8%BF%BD%E6%82%BC%E5%BC%8F_news
シベリア抑留犠牲者の追悼式
終戦直後、シベリアなどに抑留され、厳しい寒さと過酷な労働を強いられて亡くなった人たちを追悼する式典が東京で開かれました。
8月23日は、69年前に旧ソビエトが、中国にいた元日本兵や民間人をシベリアなどに移送する指令を出し、いわゆる「シベリア抑留」が始まったとされる日です。
東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、元抑留者や遺族で作る団体が追悼式を開き、およそ150人が参列しました。
この中で、元抑留者を代表して大阪・豊中市の池田幸一さん(93)が「私たちには残された時間がありません。国は抑留の真実を次世代に伝えるため取り組んでほしい」と訴えました。
厚生労働省によりますと、終戦直後にシベリアやモンゴルに抑留された日本人は、およそ57万5000人で、このうちおよそ5万5000人が厳しい寒さや飢えなどで亡くなったとされています。
このうちの7割の人については、ロシアから提供された資料などを基に、身元や亡くなった場所などを特定していますが、厚生労働省は残るおよそ1万7000人についても特定を急ぎ、遺骨の収集を進めたいとしています。
参列した元抑留者の男性は「犠牲になった仲間のためにも、生き残った私たちが過酷な経験を伝えていきたい」と話していました。
また、元抑留者の遺族の女性は「シベリア抑留を若い世代に知ってもらえるよう、父の経験を語り継いでいきます」と話していました。
■2014.8.23.第12回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」主催者代表挨拶
「第12回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」に全国各地から、また海を越えてロシアのハバロフスク、ウランウデからもご参列いただき、まことにありがとうございます。国会議員、厚生労働省の皆様も、大変暑い中をお越しいただき、ありがとうございます。主催者を代表してお礼申し上げます。
ここ千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、旧ソ連・モンゴルからのご遺骨12,369柱が納骨されておりますが、旧ソ連・モンゴル・北朝鮮に抑留されて亡くなられたすべての皆様に心よりご冥福をお祈りいたします。
スターリンの指令でソ連への移送・抑留が始まった1945年のあの日から69年の歳月が経ちました。この日を忘れてはいけない、日本国民として心に刻もうと11年前に私ども元抑留者が中心になって呼びかけて、この追悼の集いを開くようになって、今年で12回目です。
平成22年にはシベリア特措法が制定され、国がしっかり対応する旨のお約束をいただきました。この集いに、厚生労働大臣もご参列いただくようになりました。しかし、まだまだ不十分であります。
旧ソ連側の資料の開示も制限を受けています。貯金通帳など元抑留者の私物も返還されていません。遺骨もまだ三分の二が未収集です。ロシア側の協力と日本側の調査体制の強化が不可欠で、急務です。
国としての追悼事業がないことも残念です。8月6日の広島には4万5千人が、8日の長崎には台風の中6千人が、6月23日沖縄慰霊の日には4千6百人が参加しておられます。毎年、総理も米国大使も参列されていますが、シベリア関連でそのような集いはなく、この集いの参加者もまだまだ少ないと思います。60万人の日本人が抑留され、内1割の6万人が亡くなっているにも関わらず、日本社会全体が、この未曾有の大規模拉致の歴史の事実を忘れています。死者たちが軽んじられています。御霊に申し訳ありません。とくに若い世代がシベリア抑留の真実を知りません。次代への継承、啓発に国が力を入れてくださるよう強く要望します。
今年は日赤派遣看護婦はじめ女性の元抑留者のことが初めてテレビや新聞で丁寧に紹介され、衝撃と感銘を受けました。まだまだ知られていない事実が多数あります。研究者やジャーナリストの皆様の継続的努力を要請します。
私自身京都府舞鶴の出身ですが、今年舞鶴引揚記念館のシベリア抑留関係史料がユネスコの「世界記憶遺産」の国内候補に選ばれたことはまことに嬉しいことでありました。ぜひ実現に国を挙げてご協力いただけるようお願いいたします。
昨年ここで主催者を代表してご挨拶した村山常雄も、大変残念なことに、今年5月に亡くなりました。「異国の丘」の作詞者増田幸治も、画家の四国五郎、佐藤清もあいついで今年亡くなっています。私も今年93歳になりました。
抑留体験者にはもう本当に時間がないのですが、どうぞ残りの21世紀を生きる皆様が、再び武器を取ったり、不当に抑留されたり、労働を強いられ、自由を奪われたりすることのないよう、最後まで生き残った者の務めを果たす所存です。
そのことを1万2千余の御霊の前にお約束して、主催者を代表しての追悼の言葉とご挨拶とさせていただきます。
本日は、まことにありがとうございました。
平成26年8月23日 シベリア抑留者支援センター世話人 池田 幸一
■第12回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」 厚生労働大臣挨拶
第12回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いの開催に当たり、一言御挨拶を申し上げます。
この集いに当たり、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、祖国を思い、家族を案じつつ、戦後、シベリアやモンゴルで亡くなられた強制抑留者の方々の尊い犠牲があったことに想いを致し、謹んで哀悼の誠を捧げます
来年、終戦70周年を迎えることとなる今日、先の大戦から学び取った多くの教訓を次の世代に継承し、ひいては世界の平和に貢献していくことの重要性は、ますます高まっています。厚生労働省においては、戦後強制抑留者特別措置法に基づき、平成23年8月に閣議決定された「強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針」を踏まえ、民間団体等の協力も得つつ、抑留中に亡くなられた方々の特定のための資料調査や御遺骨の日本への帰還に取り組むとともに、慰霊巡拝を実施してまいります。
終わりに、抑留中に亡くなられた方々の御冥福と、関係者の皆様の御平安を心からお祈りして、挨拶といたします。
平成26年8月23日 厚生労働大臣 田村 憲久
(代読・谷内 繁大臣官房審議官)
*毎日新聞 2014年8月22日
社説:シベリア抑留 この悲劇を語り継ごう
シベリア抑留を描いたマンガ「凍(こお)りの掌(て)」(小池書院)が2012年に刊行されて以来、着実に売れ続け、今年7月には7刷が発行された。マンガ家、おざわゆきさんが父親の4年間にわたる抑留体験をベースに、悲惨な歴史を伝える労作だ。
第二次世界大戦の終結後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本兵ら約57万5000人(厚生労働省調べ)が旧ソ連領やモンゴル領に連行され、約5万5000人(同)が抑留中に死去したと推計されている。もっと多かったともいわれるが、全体像は明確になっていない。 筆舌に尽くしがたい寒さや飢え。厳しい強制労働。極限状況で日本人同士が争う姿も、満足に治療を受けないままに亡くなっていく病人の悲惨さも表現されている。親しみやすいマンガだからこそ、地獄のような日々がひしひしと伝わってくる。
元抑留者たちは、当時の最高指導者スターリンが抑留指令を発した8月23日に、毎年、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で、犠牲者たちを追悼する集いを開いている。
抑留を体験した人で生存するのは全国で4万数千人と推定される。平均年齢は91歳。直接に証言を聞くことができる時間を大切にしたい。
この1年間でも、シベリア体験を伝え続けてきた多くの人が亡くなった。村山常雄さんは約4万6300人の抑留死亡者の名前(仮名表記を含む)を突き止め、ホームページに公開した。旧ソ連が公開した名簿を他のさまざまな資料と照らし合わせる膨大な作業だった。シベリア抑留については日本政府も、研究者たちも、ジャーナリズムも、実情を明らかにする作業が遅れた。そんな中で、村山さんの仕事は研究の基礎をなすものだった。
抑留体験を描き続けた画家、佐藤清さん、抑留された人々が祖国への思いを歌った「異国の丘」を作詞した増田幸治さんも死去した。
一方で、京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館が所蔵する抑留に関する資料が来年、世界記憶遺産の登録をめざすことになった。舞鶴市は抑留された人々が帰還した地で、歌謡曲「岸壁の母」の舞台でもある。この記念館がシベリア抑留を考える拠点の一つになることが期待される。
来年は戦後70年。北の大地に眠ったままの遺骨の収集、ロシア側の資料公開、中学や高校でシベリア抑留をどう教えていくのかなど、課題は多い。冒頭に一例を挙げたが、マンガやアニメ、歌やテレビドラマがつくられれば、若い世代が歴史を知る貴重なきっかけにもなるだろう。抑留の実態解明を進めるとともに、あらゆる工夫をして、この悲劇を未来に伝えたい。