舞鶴・シベリア抑留関係資料等のユネスコ世界記憶遺産登録決定を歓迎するコメント
本日(10/10)、舞鶴引揚記念館(舞鶴市)が所蔵する「シベリア抑留」と引き揚げ関係資料がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に登録されたことが発表されました。
かねてより、署名などでこの動きを支持・支援してきた立場から、登録決定は、まことに喜ばしく、関係者各位の多年の努力に敬意を表します。「戦後70年・抑留70年」の時機を得た快挙です。
60万人以上の日本兵・軍属・民間人が旧「満州」(現・中国東北部)・北朝鮮からソ連領内とモンゴルに移送され、飢えと寒さと強制労働のために、6万人以上が死亡した悲惨な歴史が、国境を超えて、世界の記憶として認定されたことを歓迎します。また、これを機会に人道・人権に反したシベリア抑留の歴史について、日本においても、ロシアや旧ソ連圏の他の抑留国においても、関心が高まり、理解と調査・研究が進展することを期待します。
舞鶴は主要な中継地でした。舞鶴を経由して人々は大陸に向かい、そして戦いに敗れ、「満州国」は消滅し、捕虜となって、騙されて異国に送られ、仲間を失い、家族を失い、壮絶な苦労を重ねて、衰弱して、舞鶴港に戻ってきました。人々は、舞鶴からさらに全国に散り、還っていきました。
戦後70年・抑留70年、元抑留者の平均年齢は今年92歳で、再び舞鶴を訪ねることができる元抑留者は、もはや多くありません。語り継げる体験者は急速に減っていますが、なお全国に約2万人が生存すると推定されます。話が直接聴ける最後の時期に、こうした世界的な認定と励ましが届いたことは幸いです。改築された舞鶴引揚記念館を発信地として、世代や国籍を超えて、多くの方が抑留や引揚げの歴史に関心を持って下さるよう期待します。
なお、世界記憶遺産や世界遺産登録をめぐって、中国や韓国と緊張や争いが起きていることも、最近の新しい傾向で、残念です。記憶や歴史や文化を、偏狭なナショナリズムや政治的に利用することを互いに慎み、ユネスコ憲章がめざす「人の心の中に平和のとりで」を築くために、各国が協調・協力していただけるよう強く望みます。日本側の被害を一方的に強調するだけでは、中国大陸や朝鮮半島で日本の被害にあったと記憶している近隣諸国の人びとの理解と共感を得られないのではないかと危惧します。なぜ100万もの日本兵(関東軍)が中国東北部にいたのか、悲惨を極めた満蒙開拓団はなんのために送られたのか? 戦争の経過と歴史を正確に知り、伝える努力も併せて必要です。シベリアに抑留された元日本兵の中には、朝鮮人も台湾人も中国人もいましたが、こうした人びとへの理解と配慮も過去70年間欠けたままです。この機会に改めて、ユネスコ憲章前文が謳う「人類の知的及び精神的連帯」の重要性をかみしめたいと思います。
2015年10月10日
シベリア抑留者支援・記録センター
代表世話人 有光 健