地図&年表
年表≪シベリア抑留関係略史≫
編・高橋大造・江口十四一
1904.02.10 対露開戦決定(日露戦争)宣戦布告
1905.09.05 日露講和条約調印(日本、韓国保護権・南樺太租借権などを獲得)
1917.11.07 ロシア・ソビエト政権誕生
1918.04.05 シベリア出兵開始(日・英陸戦隊、ウラジオストークに上陸開始、ソビエト政権に対する干渉戦争)
08.02 日本政府、シベリア出兵を宣言
1922.06.24 シベリア派遣軍撤退を声明
10.25 シベリア派遣軍、北樺太を除き撤退完了
1931.09.18 柳条湖事件(満州事変はじまる)
1932.03.01 満州国建国宣言、溥儀執政に就任
10.03 「武装移民団」第一陣416人出発、佳木斯に入植
1936.11.25 日独防共協定調印
1937.07.07 蘆構橋事件(日中戦争はじまる)
1938.01 満蒙開拓青少年義勇軍募集要項発表
07.11 張鼓峰事件(ソ満国境紛争)
1939.05.12 ノモンハン事件(ソ満国境紛争)
08.23 独ソ不可侵条約調印
09.01 独軍、ポーランド侵入。英・仏対独宣戦布告(第2次世界大戦勃発)
1940.09.27 日独伊3国同盟調印
10.30 ソ連に不可侵条約締結を提議
11.18 ソ連、中立条約を提議
1941.04.13 日ソ中立条約調印
06.22 独軍・ソ連侵入(独ソ戦開始)
07.02 大本営、関東軍特種演習(関特演)
1943.11.28 ルーズベルト・チャーチル・スターリン、テヘランで会談
1945.02.04 ヤルタ会談(ルーズベルト・チャーチル・スターリン、対独戦後処理、ソ連の対日参戦などを決定)
04.05 ソ連、日ソ中立条約不延長を通告
04.12 米大統領ルーズベルト没、後任にトルーマン
05.07 独軍、無条件降伏
07.05 関東軍、兵力増強の必要から大本営に在満在留邦人に対する「根こそぎ動員」を上申。大本営、直ちにこれを認可
07.10 日本・最高戦争指導会議、ソ連に終戦斡旋依頼のため近衛文麿の派遣を決定(「和平交渉の要綱」)
07.13 ソ連に申し入れ
07.17 ポツダム会談、トルーマン、約束に従ってソ連の対日参戦を懇請
07.18 スターリン、日本からの和平斡旋依頼を拒否
07.26 トルーマンら対日ポツダム宣言発表
07.28 鈴木首相、ポツダム宣言を黙殺、戦争邁進の談話
08.06 アメリカ、広島に原爆投下
08.08 ソ連、対日宣戦布告
08.09 午前零時を期してソ連軍攻撃開始、日ソ間戦争状態に入る 16歳以上の男子開拓団員に「防衛召集」実施
アメリカ、長崎に原爆投下
08.14 日本、御前会議でポツダム宣言受諾を決定
08.15 正午、天皇「終戦の詔書」ラジオ放送(15年戦争終結)
マッカーサー将軍、4カ国(ポツダム宣言署名国)の合意により連合国軍最高司令官に就任
関東軍・朝鮮軍のうち武装解除を終えた部隊から中間集結地に集結され始める
08.16 スターリン、トルーマンに北海道北半分(釧路・留萌を結ぶ線より以北)占領に関し秘密書簡を送る
08.18 トルーマン、スターリンの要請を拒否
08.18 陸軍「帝国陸軍復員要領」を発表 内外駐留軍の復員業務開始
08.19 沿海地方ジャリコーヴォにおいて、ソ連極東軍最高司令官ワシレフスキーと関東軍総参謀長秦の「停戦会談」行われる
08.23 国家国防委員会議長スターリン「日本軍捕虜将兵50万人をシベリアに移送せよ」を秘密指令
08.26 大本営朝枝参謀、「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」を提出
関東軍総司令部、「ワシレフスキー元帥に対スル報告」を提出
8月末より日本人捕虜のソ連領への移送はじまる
09.02 日本、降伏文書に調印、スターリン勝利演説
09.12 ソ連情報局「1945年8月9日から9月9日までの期間の極東における日本軍の損害として59万4000人以上の日本軍兵士・士官・将官148人(それらのうちには2万人の負傷者を含む)がわが軍の捕虜となった」ことを発表
1946.12.19 在ソ日本人捕虜の引揚げに関する米ソ協定締結。毎月5万人ずつ日本に送還する
この年12月8日から翌22年1月6日までに引揚船4隻により1万9名が舞鶴港に引き揚げ
1947.12 この年4月7日から12月5日までの間に83隻により17万6581人が舞鶴港に、9月15日から12月1日までの間に10隻により1万9184人が函館港に引き揚げ
1948.12 この年12月4日までに、87隻により1万9619人が舞鶴港に引き揚げ
1949.12 この年12月2日までに、44隻により8万7403人が舞鶴港に引き揚げ
1950.04 17・22日2隻により2844人が舞鶴港に引き揚げ
ソ連政府はタス通信を通じて「日本人捕虜の送還完了」残留戦犯2458人(うち971人は中共へ)病人9人。したがって、ソ連から日本に送還された日本人捕虜は、全部で51万409名、但し、1945年に直接戦闘地域で釈放された日本人捕虜7万880名はこの中に入っていないことを明らかにした
1956.10.19 鳩山首相、日ソ国交回復に関する共同宣言調印
12.26 ソ連引揚11次「興安丸」舞鶴入港(後宮淳大将以下1025人、遺骨24) これが樺太地域を除いて最終引揚船となる
1991.0418 ゴルバチョフ・ソ連大統領初来日、抑留死亡者名簿引き渡し
1993.10.12 訪日したエリツィン露大統領がシベリア強制抑留について謝罪
2010.6.16. 「戦後強制抑留者特別措置法」制定
*抑留者の運動の歴史は別記