2012年8月23日千鳥ヶ淵戦没者墓苑で第10回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」を開催しました

2013年08月29日 00:00

8月23日千鳥ヶ淵戦没者墓苑で第10回「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」を開催しました

NHKニュースなどから

8月23日 17時31分 
シベリア抑留犠牲者の追悼式


 終戦直後、シベリアなどに抑留されて、厳しい寒さや過酷な強制労働で亡くなった人たちを追悼する式典が東京で開かれました。8月23日は、67年前に旧ソビエトが中国にいた元日本兵や民間人をシベリアなどに移送する指令を出し、いわゆる「シベリア抑留」が始まったとされる日です。
 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、抑留体験者や遺族でつくる団体が亡くなった人たちの追悼式を開き、およそ100人が参列しました。
 参列者を代表して、抑留を体験した池田幸一さん(91)が、「平均年齢が89歳の私たちに残された時間は僅かなので、シベリア抑留とは何だったのか国の責任で明らかにし亡くなった仲間の霊を慰めてほしい」と訴えました。
 厚生労働省によりますと、終戦直後、旧ソビエトによってシベリアやモンゴルに抑留された日本人はおよそ57万5000人で、厳しい寒さと強制労働で5万5000人が亡くなったとされています。
 このうち、3万3000人余りの遺骨は今も現地に残されたままで、戦後70年となる平成27年度に向けて、去年から国が集中的に遺骨の収集を進めています。


過酷な体験を本に

 追悼式に参列した林照さん(87)は、中国東北部で終戦を迎えたあとシベリアに抑留され、3年間森林の伐採や鉄道建設などの労働を強いられました。
 帰国して間もなく肺炎で入院した林さんは、シベリアでの体験を11冊のノートに詳しく書きとめました。その後、戦争の記憶が風化していくことに危機感を覚え、体験を次の世代に伝えたいとノートの内容を17年かけて本にまとめ、ことし3冊目を書き上げました。
 850ページに上る本には、凍傷で足を切断した人もいた氷点下40度の厳しい寒さや、死んだ仲間を埋葬したときのつらい気持ちがつづられています。
 林さんは「涙が出て筆が進まないこともあったが、戦争の事実を後世に伝えて同じ過ちを繰り返さないための教訓として残していきたい」と話していました。

毎日新聞 2012年08月23日 19時56分(最終更新 08月23日 20時10分)

シベリア抑留:千鳥ケ淵で追悼の集い、実態調査求める声

 第二次大戦後、旧ソ連によって抑留され、シベリアやモンゴルで死亡した約6万人を追悼する集いが23日、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた。「シベリア抑留」は抑留者や死亡者の正確な数も判明しておらず、抑留経験者からは、2010年に成立した「シベリア特別措置法」に基づく国の実態調査を急ぐよう求める声が上がった。
 集いには、平均年齢89歳とされる抑留経験者や遺族、小宮山洋子厚生労働相ら国会議員など約100人が出席した。
 旧ソ連の独裁者スターリンが終戦直後の45年8月23日、旧満州(現中国東北部)にいた日本兵の強制労働利用を命じたことから、抑留経験者や遺族らが93年からこの日に集いを開いており、今回で10回目。当事者が開催していることについて、衛藤征士郎衆院副議長は「政府か国会が行うべきだ」と国が主催すべきだとの認識を示した。


2012.8.23 21:03 産経
体験者や遺族ら参列 シベリア抑留追悼の集い

 終戦後にシベリアなどに抑留され死亡した人を追悼する「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が23日、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で開かれ、抑留体験者や遺族らが参列し、黙(もく)祷(とう)と献花を行った。 8月23日は旧ソ連の最高指導者、スターリンが抑留を指示した日にあたる。 厚生労働省によると、当時、約57万5千人がシベリアやモンゴルに強制抑留され約5万5千人が抑留中に死亡した。現在も約3万3千600人の遺骨が現地に残されたままで、政府は戦後70年となる平成27年度に向け、埋葬地の調査を強化するなど遺骨収集を集中的に行っている。

 

*厚生労働省ホームページでも紹介されています。⇒http://www.mhlw.go.jp/photo/2012/08/ph0823-01.html



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